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[278] 芥川賞作家を育てる夢 その2 平井和正と志茂田景樹の学生時代の周辺のこと

投稿者: 根保孝栄・石塚邦男 投稿日:2019年 7月 9日(火)18時10分34秒 KD175131208230.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

昭和30年代、中央大学の「ペンクラブ」は、創作の学生雑誌「白門文学」、詩・韻文の詩誌「ルブラン」を、それぞれ年2回から3回発刊していた。経費は当時の金で全額学校側が負担していた。昭和25年文学部ができて、書き手を育て、奨励する意味から予算を投入してくれていたのである。

・当時、中央大学の同年配の学生で小説を書いていたのは、志茂田景樹、平井和正を初め数人いた。しかし、平井和正が学生作家としてデビューすると、書いていた他の学生は、潮を引くように作品を書くことを断念、別の道に活路を求めた。学生時代にデビューできなくては諦める、それが石原慎太郎、大江健三郎、倉橋由美子らの学生作家全盛時代の合言葉であった。

平井和正はレイモンド・チャンドラー的文体で高校生のときから刑事物を達者に書いていた男。「オレは純文学作家みたいな下手な作品は書かない」とうそぶく男であった。後にSF作家として名を成し、不振に陥った手塚治虫さんの漫画の原作シナリオを手塚さんから依頼されて書いたり、テレビ漫画で一世を風靡したスーパーマンものの「エイトマン」の原作、石ノ森章太郎と組んで「幻魔大戦」の大ヒット漫画を手がけるなど、SFの大衆化に貢献した男。

平井和正は、昭和30年代に早川書房の「月刊SF」の創刊などでチャンスに恵まれ、一躍学生スター作家に躍り上がった男。私とは学部も年齢も同じ寅年であったから「虎は眠らない」なんて題名の小説を書いていた。授業中に当時は珍しいタイプライターを持ち込んで、カチャカチャと音を立てて書いていた男。教授が「またタイプを打ってるのは平井だな」と声をかけると、平井は「先生、気にしないでください。締め切りが迫っているので、必死なんです。許してください」と言って黙認されていたものである。その平井も2015年、学生時代から悪かった内臓の疾患で惜しくも亡くなった。

・この平井を先生と慕ったのは、五歳も年上のSF作家の荒巻義雄である。荒巻は札幌南高校で渡辺淳一と同期で、「紺碧の艦隊」「旭日の艦隊」シリーズで有名なSF界の巨匠だが、昭和三十年代にまだ早川書房の「月刊SF」が創刊される前、「宇宙塵」というガリ切りの、今では伝説のSF同人雑誌になっている雑誌で平井が先輩だったので、荒巻は終生平井を先生と呼んだ義理堅い男。荒巻は現在も札幌に住んでいて、道展、全道展、新道展の公募展には陰ながら賞金を出すスポンサーである。

・志茂田景樹は一級下だったが、授業では一緒になることがあって、言い方が少し悪いが、あえて言うと、当時からなよっとした、いわゆるオカマ的感じで人目を引いていた男。北方謙三は、学年がずっと下であったが、学生時代から小説を書いている男として法学部でも伝説的に名が知られていた。学生時代を終えてから、私が時折ペンクラブに顔を出すと、「後輩に良い書き手が一人いるよ」と北方の噂を耳にしたものである。

・北方謙三は学生時代の当初、純文学の作品を書いていて、それなりに光った作品であった。一流雑誌の新人賞の候補にも何度か上りはしたものの、決定的作品に恵まれず卒業する。サラリーマン生活の中でエンターテイメントの作品に転換、機会を得てデビューするのは30代近くなってからである。

・私の同世代は、皆優秀で、受験したときは、中央大学の法学部がもっとも人気のあった時代で難易度70のランクであった。同期生は受験時20倍の競争を経て合格した連中。私のクラス2組は50人のうち10数人は司法試験合格者で司法界に行き、3分の1はマスコミ関係、3分の1は公務員という内訳で、後に政治家になったものが数人もいて、小説を書くような文筆活動の者は変わり者、落ちこぼれと言われていたものである。

  ・落ちこぼれ何処に行くのか浮き草の漂ふ先の行方は知らず  石塚 邦男

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