ウォーキンググループわらじの掲示板



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[35] 第511回徒歩例会報告

投稿者: 太斎 投稿日:2017年 3月14日(火)20時50分47秒 KHP059139180046.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

「割山・四方山ハイキング」
平成29年1月22日(日) 晴れ 参加者32名 16.5km

 亘理は県内でも最も暖かく、その温暖な気候を活用してイチゴの栽培が盛んだ。今回は亘理の里山、
四方山を目指した。
 朝から晴れて、気持ち良く亘理駅を出発した(9:35)。市街地をぬけ、国道6号線を渡って割山峠の道に入る。途中から左に下って愛宕沢を行く。日陰になるとまだ残雪がかなりあって少々驚いた。程して登山口に着く(10:10)。登り口は二か所あって一つは割山峠からの道に出る。もう一つは直接鴻ノ巣峠に出る。鴻ノ巣峠の道を選んだ。尾根まで一気に登る。林の中の道で、雪はなく歩きやすい。約20分で鴻ノ巣峠に出た。この尾根の西側は垂直と思われる程鋭く削り取られていて、そのギリギリの所に細い道がつづく。しかも雪が残っていて滑りやすい。皆真剣な表情でこの尾根を渡り切った。
 その先は樹林帯の中を行く楽なコースだ。閑居山を越えて更に進めば「夜討坂」に至る。戦国時代、伊達氏が相馬氏に夜討をかけた時に通った道らしい。いよいよ黒森山の長い登りに入る。急な登りではないが、雪が残っていて歩きづらい。黒森山からは目の前に蔵王連峰が全景を現す(12:00)。大迫力だ。ただ東側は林に遮られていて何も見えないのが残念だ。
 そこから道は又平坦になって、四方山までつづく。四方山の展望台に登ればその名の通り360°の見晴らしだ。3.11の大震災で被災した亘理、山元の海岸を見れば、巨大な堤防が建設中だ。それに使用するのだろう、土石採取現場があちこち目に付く。既に峰が削り取られた所もあると聞けば、気持ちは複雑だ。
 山頂からは一の坂林道を下る。普段は車も通る道だが、ここにも残雪があった。この冬は雪が多かったのだろうか。下りた道は「東街道」と言うらしい。古い道の様だ。緩やかにうねって阿武隈丘陵の下を行くが、いつしか亘理の市街地に溶け込んでしまった。最後は出発地と同じ亘理駅に戻って今日の徒歩例会を終えた。




[34] 第510徒歩例会報告

投稿者: 太斎 投稿日:2017年 1月18日(水)17時02分51秒 KD124213207153.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

仙台市地下鉄東西線13駅沿線散歩
平成28年12月11日(日)晴れのち雪 参加者32名 16.3km

 師走の例会は恒例の忘年会があるため、仙台近郊を歩くことが多い。今回は仙台市地下鉄東西線開業一周年との事で、その全路線13駅を巡る企画であった。
 出発駅「荒井」は集合する(8:40)。立派な駅舎だが、まだ空地が広がっている。すぐ近くを仙台東部道路が走り、これからの発展が期待される。「六丁の目」「卸町」と普段はあまり来る機会のない地域を歩くことが出来た。「薬師堂」まで来るとさすがに馴染みのある地名が多くなる。仙台駅(10:40)には、この地下鉄工事の際に出土した貝塚の一部が展示されていた。大昔は、ここが海岸線であったとのことに驚く。今迄我々は海の底を歩いて来たことになる。会員に長年地学を研究してこられた先生がおられたが、今回は不参加だったので講義が受けられず残念であった。
 南北線の下をくぐって、南町通りに出る。この頃から天気があやしくなって来て、小雪交じりの雨が降り出した。大橋を渡って「国際サンタ―」に着く(11:45)。駅はモダンで立派だ。世界からお客様を迎えるためだろう。ここのテラスで昼食となる。デッキに出れば仙台市が一望出来る。夜まで開いているので、花火大会の時は絶好のスポットらしい。
 いよいよ八木山への登りとなる。わらじの会は雨がふろうと、雪がふろうと、交通手段が閉ざされない限りは、例会は実施するという頑なな会だ。それを知ってか雪が本格的に降り出した。幸い降り始めたばかりで、積るまでには至らなかったが、歩道のない急坂を注意しつつ登る。
 東西線はリニアモーターを採用した地下鉄だ。一般の電車は車輪が回転して車両を進め進めるが、この八木山の急こう配では車輪が空転して登られない。そこで軌道と車両間に直接推進力が働く、リニアモーターが採用された。車輪はコロの役目だけで、自らは回転していない。その他、車体の背を低く出来、トンネル掘削費用の削減効果も大きいそうだ。
 「川内」「青葉山」をへて、最後の「八木山動物公園」に着く(14:00)。この駅は地下鉄の駅としては日本一高い場所にあるらしい。展望デッキからは太平洋も見渡されるはずだが、雪がひどく何も見えない。記念写真だけ撮って、気持ちは早くも忘年会の方に移っていった。
 冬の例会は厳しい徒歩になる事がある。今回も雪が降り出して、けして楽しい歩きではなかったが、その分、のちの忘年会ではしっかり体も心も温める事が出来て良かったと思う。



[33] 第508回徒歩例会報告

投稿者: 太斎 投稿日:2016年11月15日(火)21時21分17秒 KD106174037177.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

半田山ハイキング
平成28年10月16日(日) 晴れ 参加者29名

 秋の紅葉には少し早い時季ではあったが、今回の例会は福島県桑折町の半田山(863.1)へのハイキングであった。JR桑折駅(9:26)より半田沼までは、一般道を避けりんご畑を登って行く。桃は既に収穫が終わっていたが、りんごはうまそうな実をたわわにつけていた。道はそれほどきつくはないが、だらだら坂が一時間半もつづく。最後は半田沼から流れ出る沢に沿って登る。途中に銀山への分岐があったが、寄らずに進む。そこから沼は目の前だった。急に視界が開けて半田山と、沼が目に飛び込んで来た(10:50)。神秘的な深い緑色の水をたたえ、色づき始めて半田山をそまま逆さに映していた。
 ここは半田山自然公園として町が管理しているらしい。キャンプ場、遊歩道、広場などがきれいに整備されている。沼の畔をめぐって管理センターで一休みする。ここからは体力に合わせて、山頂まで登るA組と、沼周辺を散策するB組に分かれた。A組は管理センターをからキャンプ場を通り林道駐車場に向かう(11:25)。始めから急な登りがつづく。駐車場に着いたのは、予定よりだいぶ遅れて12時になっていた。たがここが半田山への本当の登り口だ。気合を入れて真直ぐな尾根道を登る。きつい登りがつづく。林の中の道で眺めが無い、無口で一歩一歩登る。山頂近くになって、ようやく見晴らしの良い所に出た。うつくしいハート形の半田沼が見える。不思議だ偶然そうなったのだろうか。山頂はそこから直ぐだった。12時40分頃に着くが列は大分伸びてしまっていた。
 見晴らしは東だけが開けているが、それでも眺めは素晴らしい。半田沼の先には桑折の町、その後ろにはゆったりとした阿武隈の流れ、さらに正面には霊山の岩山が連なっている。暑い位の陽気に汗をぬぐいつつ、思い思いにお昼の弁当を食べた。少し短めの休憩だったが13時15分には下山を始めた。暫くはゆるやかな道だったが、その先は急坂がつづく。慎重に足を運ぶが、それでも足を滑らす人もいた。あまり休まず一気に下り北駐車場に着いた(14:10)。B組と連絡を取り合い、見晴台で落ち合う事にした。沼周辺は桜の名所でもあるが、それ以外の季節でも美しい景色を楽しむ事が出来る。B組も十分散策を楽しんだ様だった。
 B組と合流し、紅葉の頃を想像しつつ半田沼に別れを告げた(14:40)。帰りも同じ道をたどったが、朝とは打って変わって皆おしゃべりに花が咲く。畑にはりんごが愛らしい姿を見せている。喉も乾いて一つ買って丸かじりしながら歩きたいと思ったが、誰もいない残念であった。駅には15時45分に着いた。見上げると半田山は思いの外高く見えた。あの山頂にいた事が何か信じられない。今回は登りもきつく、電車の時間があって少し急ぎの歩行にもなったが、半田沼のバンガローに泊まって、ビール片手にゆっくりと星空を見上げてみたいとも思った。



[32] 第507回徒歩会報告

投稿者: 太斎 投稿日:2016年10月30日(日)19時53分2秒 KD106174037217.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

「村田蔵の街と里巡り」
平成28年9月11日(日)晴  参加者22名

 紅花と言えば山形が代表的生産地として知られているが、昔は宮城県でも盛んに栽培され、村田の商人はそれを江戸、京都に運び商いを行っていたそうだ。紅花は末摘花として源氏物語にも出て来るように、昔から紅、染料として高価で取引されていた。その取引で財をなした村田商人の蔵屋敷が今も残っている。今回はその蔵の街と近隣の名所を巡る例会である。
 バスで村田ICを降り、民芸の里に着く(9:10)。茅葺の民家を移設し、大きな水車がシンボルとなっているが今は動いていない。前の県道を渡って姥の手掛け石を見る。腕を切り落とされた鬼が姥に化けて取り戻そうし際、滑って手を付いた跡と言われている。その恐ろしい話とは裏腹に赤子の手のような可愛い手跡だった。暫く県道を行って大きな牛石を見る。左に折れて川に沿って行けば今度は茶釜ヶ淵が見えて来る(9:55)。川を渡って坂を登り墓地に入る。下に村田の町並みが見え、遠くには蔵王の山並みが連なる。下って願勝寺に着く(10:40)。この門には村田城の大手門が移設されている。裏には身分の差から果たせぬ恋を嘆き、心中した若い男女の恋塚もある。次は白鳥神社を詣でる。参道を塞ぐように樹齢1000年とも言われる蛇藤が横たわる。その隣のケヤキの大木もすごい。どこまで歴史を辿れる神社なのだろう。裏の相山公園を一回りして蔵の街に入る。先の3.11大震災で蔵も大きな被害を受けたようだ。いまだに瓦の崩れたままの蔵もあるが、きれいに再建された蔵もある。こうした伝統的建造物の維持管理は所有者だけでは出来ない。町・県・国の支援が必要だ。次の世代に引き継ぐ遺産として、我々もどうすべきか真剣に考える必要があるだろう。
 つづいて政宗の七男で村田城主であった宗高公御廟のある龍島院を訪ねる。城主時代、蔵王は火山活動が活発で、村田も大きな被害を受けていたらしい。宗高は火口近くまで行、祈祷して山を鎮めた事で臣民の信望も篤かったが20歳で夭逝した。廟には共に殉死した家臣の墓が並ぶ。城山公園に登る(12:40)。広い本丸跡だか草が生い茂る手入れが悪く訪れる人もいない。これでは宗高公の嘆いておられるだろう。昼食もそこそこに隣の道の駅村田に移る。ここは大勢の人で賑わっていた。
 下ってだるま堂神社に向かう。工業団地横の坂道を登り、高速道路を越えて黄金色の田んぼ道を行く。村田を出て蔵王町に入る。きれいなせせらぎに沿って上ればだるま堂神社だ(14:45)。そこに一本の巨木があった。神社の参道にあった杉並木の一本だそうだ。これだけの巨木は見た事がない。何百年ここに立っているのだろうか。厳かな雰囲気にこのまま夕暮れまで立ち尽くしたい気持ちにさえなった。里巡りとは言え起伏の多いコースであった。ここからバスで谷山温泉の移る。田んぼの中の一軒屋だ。近隣の人達が風呂替わりに使っているのだろう。無色透明で匂いも無いがいい湯だ。目をつぶり村田の歴史の一こまに触れた喜びを感じつつ今日の例会を終えた。



[31] 第506回徒歩会報告

投稿者: 太斎 投稿日:2016年 9月13日(火)17時31分57秒 KD124213207144.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

「隠れキリシタンの里・米川 三経塚・蚕飼山を訪ねて」
平成28年8月21日(日) 晴れ  参加者 21名

 米川は登米市の東北、岩手県と境を接する人里離れた所だ。ここが隠れキリシタンの里と呼ばれ、今も処刑された信者が眠る。政宗も当初はキリスト教を認めていて、遠くローマまで支倉常長を密かに派遣したほどだ。しかし幕府の方針により禁止・弾圧されて、信者はこの地に隠れて信仰をつづけていたのであろう。今回の徒歩会はこの地の蚕飼山(418.1m)に登り、三経塚を訪ね、三滝堂を巡るコースだ。
 三陸道を登米・東和ICで降り、道の駅林林館に寄って蚕飼山入口までバスで行く(9:35)。登山道は車も通れる広い道で、登りもさほどきつくはないが、同じ勾配の坂がだらだらとつづく。しかもその日は猛暑日、30分もしない内に全身汗でびっしょりになった。途中見晴らしの良い所でもあれば、少しは気分が良くなるのだがそれも無い。標高400ばかりの里山に思いもよらぬ難渋だ。やっと道が平坦になり、山頂は更に登った所らしい。疲れた足で一歩一歩最後の坂を登り山頂に立てば、今までの疲れが吹き飛ぶばかりの素晴らしい360°の展望だ(11:20)。思わず歓声を上げてしまった。前日までの雨と風に、大気の汚れがすっかり洗い流されてしまったのだろう。遠くは吾妻・安達太良、近くは栗駒・船形がくっきりと見える。わずかに三陸の海まで見える。里山でこれだけの見晴らしは珍しい。
 同じ道を下って三経塚を訪ねる。一人が通れる程の小路を入れば、奥は広く綺麗に草が刈られていた(13:10)。今も地元の人が厚く奉っている事がわかる。蚕飼山の由来はわからないが、昔盛んだった養蚕に関係があるのだろう。蚕の作る純白のまゆに包まれて眠る信者の姿が連想された。
 三滝堂へは途中から山道を歩く予定でいたが、下見の時に熊に遭遇したとの事で県道を行った。夏休みの最後の日曜日とあって、子ども達が大勢来て水遊びをしていた。こもれびと瀬音が心地よい。さすがに水着まで準備して来た人はいないようで、代りにかき氷でのどを癒す人が多かった。
 あまり名の知れていない山、その上県北の外れの地で、私を含め初めての人が多かった様だ。大変な暑さの中での汗だくの徒歩会となったが、それ以上に素晴らしい眺めと、爽快な気分の残った一日であった。

グループわらじHP
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[30] 第505回徒歩会報告

投稿者: 太斎 投稿日:2016年 9月10日(土)11時03分41秒 KD124213207144.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

「第3回みちのく潮風トレイル」
平成28年7月23・24日(土/日)参加者25名
『23日 曇り一時雨』
 今回で第3回目となる「みちのく潮風トレイル」だ。去年は洋野市白滝神社まで歩いたので、今年はそのつづきを歩く予定でいたが、高家川の渡りを避け久慈市粒田浜からのスタートとした。
 仙台を発った時から空模様はあやしかったが、粒田浜では小雨が降り出し、バスの中での昼食となった。スタート直後から道に迷い、民家を見つけて聞いた。親切に次の入口まで案内してくれた有難い。それ以降は迷う事なく歩く。幸い雨は傘をさす程ではなく、美しい磯を松林越に見ながら歩く。
 途中、侍石では平らで大きな岩の上に立つ。北侍浜野営場はキャンプ場で、テントが立ち家族連れが大勢来ていた。岩を切り抜いた天然のプールでは子ども達が遊ぶ、時間があれば入りたかった(14:45)。今日のコース一番の展望台横沼展望所に着く(15:25)。三陸リアス式海岸の切り立った岸壁はさすがに壮観だ。次に白前漁港に向かう。小さな起伏がつづき列は伸びる。3.11震災からの復興工事で、港は異様な程の高い堤防とテトラポットで固められていた。複雑な思いだ。
 また雨が降り出し少し辛い歩きとなった。本波港にやっと着く(17:00)。漁港とは名ばかりで何もない、バスで厳島神社に移動する(17:40)。神社は岬の突端にあって、切り立った細い参道を行く。船乗りの安全祈願として祀られたそうだが、いつの時代だったのだろう。人が一本一本柱を担いで来て建てたと思うと、先人の志の高さに頭が下がった。
 その夜の宿は昨年と同じえぼし荘だ。だいぶ遅れて着いた。まずは一風呂浴びて汗を流し、それからは楽しい宴会。この日のためにわさわさ準備して来たらしいサプライズもあって今日の疲れをいやした。

『24日 曇りのち晴れ』
 去年は見事な日の出が見られたが、今朝は小雨模様。それでも宿を発つ頃には上がってくれた。潮風トレイルのコースは厳島神社から「もぐらんぴあ」を経て久慈市の海岸を通るが、いまだ震災からの復興工事中である事からサブコースの市内巡りを選んだ。
 市役所より歩き始める(8:25)。長泉寺の千年イチョウを見る前に寺の裏山を歩く予定でいたが、入口がわからず迷う。地元の人に尋ねたがわからず、結局断念して直接長泉寺に向った。格式の高い寺らしい、山門からの道も綺麗に清掃され本堂は立派だ。イチョウは境内の左手にあった。中心の大幹は既に枯れてはいるが、周りから太い脇木が何本も伸びている。長い歴史を持った寺院である事はわかる。
 次は巽公園に登る。小高い丘の上から市内が一望できる。街の向こうに曇って鉛色の海も見えた。下って長内川のかかる新街橋を渡る。この橋は今では大変珍しくなった木橋だ。小型車なら通行が可能で、こん後も長く使ってほしいものだ。あの津波で市内は破壊されたが、ここまでは来なかったのだろう。渡ったのちのコースは山上の中長内遺跡を巡るが、パスして下の道を選んだ。長泉寺裏山の道に迷い大幅に時間をロスしてしまったため、諏訪神社には11:45に着いた。昼食はNHKの朝ドラで有名になった小袖海女センターでとる予定でいたが、ここから更に6kmもあってバスで移動する事にした。
 ここからは海岸の道を行くが、途中から歩道がなくなり切り立った崖をぬうように進む。この頃には青空が出て来て海が美しく輝いて来た。最後になった天も我々を歓迎してくれた様だ。小袖海女センターででは思い思いに景色を楽しみながら昼食を食べた。またウニやホタテを味わった人もいたようだ。
 今回は二日共天気が悪かったが、かえって暑くならず良かった気もする。最後に環境庁への要望だが、小袖海女センターへの道は歩道が無く、道も狭いので大変危険だ。これだけ美しい海岸だから多くの人が来て安心して歩いてほしいものだ、是非整備をお願いしたい。



[29] 第504回徒歩会報告

投稿者: 太斎 投稿日:2016年 8月 7日(日)18時01分39秒 KD124213207218.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

「六十里越街道を歩く」
平成28年6月19日(日)晴  参加者38名
 出羽三山の信仰の道として、また庄内と村山を結ぶ流通道として六十里越街道は整備された。時代と共に道は新しく拓かれて来たが、埋もれていた最も古い道が、再び地元の人達によって拓かれている。この道をわらじは以前にも歩いているが、久しぶりに田麦俣から湯殿山参籠所までの8.4kmを歩いた。最も古道の面影を残している道だ。
 田麦俣入口でバスを降り坂道を下る(10:15)。多層民家に寄り記念写真を撮影。そこから暫く急な舗装道路がつづく。15分も登ればもう汗だくだ。見下ろせば多層民家が小さく見える。しかし六十里越の登りはこれからが本番、蟻腰坂の更に急な山道に入る。やっとの思いで弘法茶屋跡に着く(11:00)。弘法さんもさぞ難儀された事だろう。尾根に出て少し楽な道となり、周りの景色を楽しむ余裕が生まれた。道はブナ林の緑のトンネルの中をたどる。一面に広がるブナ林に空も見えない。生憎風がなく蒸し暑いが、柔らかな緑の光とブナの灰色の枝ぶりを楽しみながら歩く。途中国道112号線を渡るが、それは雪崩防護屋根の上を歩く、初めての体験だ。渡切ればすぐ独鈷茶屋に着く(12:00)。法師の持つ独鈷を突き立てたら清水が湧き出た事に由来するらしい。ここで昼食。トイレの設備はしっかりしているが、残念ながら見晴らしはない。また歩き始めてすぐに千手ブナがある。枝が何本も大きく手を広げた様にまっすぐ伸びる。いよいよ今回の最高地、細越峠に向かう。緩やかだが長い小堀抜、大堀抜の坂がつづく。滴る汗をぬぐいつつ無口の行進となる。峠には14:00に着く。ここにもトイレがある。休んでから急な下りを、一気に湯殿山参籠所への分岐のある笹小屋跡まで下る。ここでは曲がらず、そのまま一本橋を渡って参籠所への有料道路に出る。街道は更に先につづくが、有料道路を歩いて湯殿山参籠所に着いた(15:20)。
 巨大な赤い鳥居バックに記念写真、本宮には参拝せず震災関係者の御霊を祀る観音様、即身仏を拝んで帰路につく。久し振りの山歩き、汗だくになった体を寒河江SA温泉で流して、全員笑顔で仙台に戻る事が出来た。
 昔の人は何日かかって六十里越街道を歩いたのだろう。雪の冬、馬継の相手が現れず、荷を置いて帰るとの伝言をブナの幹に刻んだ跡が今も残っていた。こんな厳しい中にもたくましく、また信心深く生きた昔の人を思うと胸が熱くなった。時代はかわってもブナの巨木は今も静かに行き交う人を見守っている様に感じた。



[28] 第503回徒歩会報告

投稿者: 太斎 投稿日:2016年 5月21日(土)18時09分10秒 KD106174037216.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

「山形置賜さくら回廊」
平成28年5月8日(日)晴  参加者40名

 温暖化の現れか、花の見頃も年々早まり、桜まつりの関係者ならずとも気のもめる近年である。前回の二本松城の花見は、今年の徒歩会の幸運を全て先取りした様な天気と花に恵まれ、後が気がかりになる程であった。今回は月も変わり、花も葉へと移っているだろうが、その姿ばかりも見ようとの企画であった。それでも先月の運がつづいていれば、御衣黄・うこん・太田の桜に会えるとの思いを胸に、フラワー長井線の終着、荒砥駅に向かった。
 「白鷹古典桜の里観光マップ」を頼りに、八乙女種まきサクラを皮切りに、左回りで十三の桜を巡った。思った通りに、花はなく葉ばかりであったが、却って風雪に堪えて来た姿が一層目にしみる。どれだけの人が集い花を愛でて来たのだろう。枝は折れ、幹はさけ朽ちて、杖を頼りの姿は痛々しいが、なお花をつけ春を告げんとする心に胸がいたむ。花はエドヒガン桜がほとんどであったが、そん中に訪ねた御衣黄桜・うこん桜・そして太田桜は果せるかな、咲き誇る姿で迎えてくれた。たいそう珍しい品種らしく、かつて見たことが無い。御衣黄の薄い緑に、うこんの淡い紅が混じるのも面白い。育て増やしている老人が詳しい説明をして下さった。
 この地はなぜこれ程古木桜が残ったのだろう。千余年と言えば人の何代に当たるのであろうか。雪は深く、朝日連峰からの風も強い。地震もあっただろうし、干ばつ野火もあっただろう。一本一本にその傷跡が見られる。人はその都度我が祖父母の様にいたわり、手当をして来たのだろう。今はただ桜や花を植え、人を呼ぼうとする所もあるが、花ばかりではなく、守り伝えて来た人の心も見る事の出来た徒歩会であった。



[27] 第502回徒歩例会報告

投稿者: 太斎 投稿日:2016年 5月 7日(土)16時57分44秒 KD106174037216.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

「二本松城をせめる」
平成28年4月10日(日) 晴れ  参加者30名

 仙台駅東口バスプールを出発し二本松ICから智恵子記念に着く。天気はこの日の為に取っておいてくれた様に晴れわたり、うららかな花見日和となった。あたりは薄紅色の春霞につつまれ、雪の残る安達太良が青く浮かぶ。智恵子が何度となく登ったであろう裏の石段から、神社を経て智恵子の森を行けば、上にも下にもとりどりの花が我々を迎えてくれた。「樹下の二人」は何処であったのだろう、光太郎の若く、のびやかで、力強い歌が今もそのまま時を止めている。
 展望台を下って二本松城に向かう。道の桜は今日を限りと咲き乱れ、人影のない枝に鳥が来てしきりにさえずる。緑の大屋根を頂いた体育館を見ながら、長い坂道を登って二本松城の天守を目指す。天守は人で賑い、城はまさに桜の中にあった。あまりの春に人は言葉を忘れ、ご法度なのだろう酔って騒ぐ人もいない。間近に迫る安達太良を背に、思いおもいに昼をとる。
 天然の要害は時と共にその姿を変え、今は花に人が集う。訪ねたであろう光太郎は何を思っただろうか。水の流れ、花の色、池に映る松の枝など絵巻の世界を見て下る。華やかの絵巻は箕輪門の少年隊で終わる、おりしも吹くか風に花吹雪が舞っていた。
 道を渡って観音丘陵遊歩道に入る。こちらは若い桜があやしいまでに咲き競うが、行く人もなく静まりかえっていた。程よい曲がりと緩やかな起伏がこころ良く、静かに花を愛でて歩いた。最後は古の都までその名の聞こえた安達が原の黑塚を訪ねた。
 昔から桜は日本人の心を捉えて離さない、なぜだろう。桜が日本人の心を育み、歴史をきざんで来たのだろうか。そんな思いをさせられた例会であった。

G・わらじホームページ
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[26] 第501回徒歩例会報告

投稿者: 太斎 投稿日:2016年 4月 9日(土)15時59分40秒 KD106172015058.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

「仙南奥州街道ウォーク」
平成28年3月27日(日)晴 参加者40名

 平安の頃より東北への人の行き来は繁く、東古道の名も残る。江戸の始めに全国の街道が整備され、一里塚も作られた。今回はその奥州街道を名取宿から船迫宿までを歩く。昔の人は一日十里(40km)も歩いたそうだが、半分の20kmの徒歩会だ。
 朝に名取駅に集まり出発する。天気は上々で、少しヒンヤリした風が心地よい。市中を抜け踏切を渡った後、しばし街道を外れ用水堀の小路を行く。梢の芽吹きは小さいが、人の庭先の花を愛でながら行く。弘誓寺で一休み。立派なお寺だ、高い境内より市内を眺める。その後は町並みが切れて、田園風景が広がる。遠くには白く雪の残る蔵王の峰々が美しい。近くには愛島の山の裾野に実方中将の墓がある。五月雨に訪ねあぐねた芭蕉を思う。
 岩沼宿に入る。ここも街道には歩道がなく、西寄りの歩道の道を行く。翁が「桜より松は二木を三月越し」と詠んだ松が世をつないで、今も残っているのはうれしい。竹駒神社からの道と出会ってしばし行く。千貫神社を訪ねようと一旦街道を外れる。昔はこの辺りは海で、神社の有る峰には見事な松並木があり、舟人の航海の目印になっていたそうだ。貞観や慶長の大地震では、津波で舟が高い社まで打ち上がられたとの伝えが残っている。その神社の下を東古道が通っている。
 再び街道に戻って槻木宿の入る。入口に一里塚があったとの立て札が有り、記念写真を撮る。奥州街道と村田街道の交差点にある生涯学習センターで、少し遅い昼食となった。槻木はケヤキの古称で、以前は見事なケヤキ並木が有ったらしい。学習センターの入り口に、その巨大な切株が展示されている。町の外れには東禅寺がある。伊達騒動で有名な原田甲斐の生母、慶月院の七回忌を密かに執り行った証の石碑が残る。逆賊の汚名をきせられた甲斐に、母の思いは今も如何に。
 これより白石川に沿って遡る。しかし道はその先川を外れて進む。明治の頃迄は、白石川は西の山側に大きく蛇行していたそうだ。今も川底が残る。船迫宿はその川に沿ってあった。今は七曲りの名のみが往時を偲ばせる。最後は大光院に寄る。真言宗の立派なお寺だ、新しく本堂は立て直されてはいるが、その威容に長い歴史を感じた。
 仙台から白石までは十里程、その為、途中の宿は本陣を置かぬ簡素宿で有ったのだろう。芭蕉も白石に宿って、次は仙台迄行っている。それでも人の行き来は賑やかであったろう。辿れば道や石碑にその名残をとどめている。東海道、中山道の様に整備も保存もされなかったが、奥州街道の名を聞くだけで、何故か懐かしい。この名こそが宝と思う。ちなみに今の東北本線の建設は当初私鉄の「日本鉄道」によて始められ、線名は「奥州線」であった。


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