幻影武道

趣味の伝統武道



カテゴリ:[ コレクター ] キーワード: 姫路 居合 剣術


19件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[20] 無外流

投稿者: 投稿日:2017年 3月14日(火)16時58分29秒 81.179.138.210.rev.vmobile.jp  通報   返信・引用

大森曹玄 剣と禅
  「わたくしは四十年前ほど前、土佐に遊んだとき、高知の小高坂城内に陳列されていた無外愛用の袋竹刀を拝見して、覚えず舌を捲いたことがある。」
大高坂の間違いか?稽古に竹刀を使っていたことがわかる。
  「都治月丹が、自鏡流の居合を取入れたといわれる無外流の居合が今日まで伝わっている。もと姫路藩の藩外不出の秘技だったといわれる。その秘太刀三本のうち一番向上のものを・・・」
無外流兵法道居合にある型である。それが姫路無外流の居合型と解説されている。

無外流兵法譚 http://www.mugairyu-hyohotan.com/shidan01s.html
「土佐藩主やその家族に、都治資幸以降の歴代の都治家の当主や芸家(師範家)が、剣技の披露をしている記録の存在です。この時代に藩主家族の前で家芸を披露するということは、現代の我々が考える以上に名誉なことで、もし形が存在していたのであれば、このような晴れ舞台で演武披露しないはずがありません。しかし、実際に披露されたのは、門弟同士の打ち合い稽古と抜刀の演武、藩主や若君の打ち込み稽古の相手を務めた記録ばかりなのです。」
「もともと土佐藩では、江戸時代を通じて無外流剣術が剣術の筆頭流儀とされていました。ところが、幕末に石山孫六(1828~1904)によって小野派一刀流が伝えられると、無外流剣術は大きな影響を受けたそうです。それまで、無外流では構えは上段だけで、防具は面・手袋だけで袋竹刀を使用、袴は地袴(じばかま)が決まりとされていたところ、石山の影響で胴、割竹刀を使用するようになり、構えも下段が採用されたそうです。また、地袴についても、一刀流で採用されていた襠(まち)高袴に改められます。」
土佐藩では無外流は竹刀稽古であると解説されている。ちなみに私の幼少時の剣道道場主は地稽古では常に左上段で、直線的な足捌きだけでなく、八方に足捌きを行うのを私達に指導された。私達には中段の構えを指導。




[19] 一足一刀

投稿者: 投稿日:2017年 2月28日(火)21時58分2秒 193.167.214.202.rev.vmobile.jp  通報   返信・引用

剣道 その歴史と技法 大保木輝雄   武道 2017,No3,vol.604,p103

  撃剣で重視されてきた「一足一刀」というのは元来一刀流の述語であり、相手に打ち込む際にはまずは体を先に出しやや遅れて刀を出すことを示している。手打ちではなく身体の総てが剣先の勢いとなるようにとの教えなのである。組太刀の世界では、勝負が決する場所を「間境」「水月の場」などと呼び最も重視する。そして、この間境に入るために十分備える場所が「三間」(現在の九歩の間合い)の距離だと定めている。お互いがこの間合いから接近し勝負を決する間境を通過するとき、気後れしたり、刀が先に出ないよう相手により早く「踏み込むべき場」に足を踏み込むことが「一足一刀」なのだ。

  英信流の居合型と組太刀形の間合の説明になっている。組太刀形は初めは歩み足でゆっくりと行うが、上達すると走りながら形を稽古する。
また現代体術も踏み込みを重視し、ナイフの対処が高木流と似ている。



[18] お腹を鍛えるドローイン

投稿者: 投稿日:2017年 2月17日(金)19時11分5秒 86.64.239.49.rev.vmobile.jp  通報   返信・引用

うえもりみお

ドローインとはお腹を凹ませる動きのことで、腰痛予防のほかにもアスリートの体幹を鍛えるために行ったり、ダイエットにも効果的。
1.背筋をまっすぐのばし、
2.肩を後ろに引き、
3.お腹をぐっと凹ます。呼吸を止めない。
ドローインはお腹と背中の筋肉をバランスよく鍛えるが、とくに腹横筋というコルセットのように内臓をおおっている筋肉も鍛えれます。

居合もこのドローインを使う。



[17] walking

投稿者: 投稿日:2017年 2月10日(金)07時26分46秒 212.68.239.49.rev.vmobile.jp  通報   返信・引用

闘戦経の「49術は剛にあらずんば成らず」に兵術は草鞋の如し。其の足健にして着すべし。豈に跛者の用うる所となさんや。とあり、体の強さの大事を説いている。

Walkingは姿勢を正しく腕を後ろに引き、歩幅は小さく、一日一万歩を目標にする。武道の一般的に型で教えられているのは、礼法であり、陸戦の歩行とは違う。一日に何十キロと行進するので日頃から鍛えておく。
参考 NHKランスマ



[16] 日本の宗教感

投稿者: 投稿日:2017年 2月 5日(日)08時17分2秒 235.253.149.210.rev.vmobile.jp  通報   返信・引用

日蓮大聖人御書四条金吾殿御返事 P1192
 夫れ運きはまりぬれば、兵法もいらず・果報つきぬれば所従もしたがはず、所詮運ものこり果報もひかゆる故なり。ことに法華経の
行者をば諸天・善神・守護すべきよし属累品にして誓状(せいじょう)を立て給い、一切の守護神・諸天の中にも我等が眼に見へて守
護し給うは日月天なり。争か信をとらざるべき、ことにことに日天の前に摩利支天まします、日天法華経の行者を守護し給はんに所従
の摩利支天尊すて給うべしや。序品の時名月天子宝光天子四大天王与其眷属万天子と列在し給ふ、摩利支天は三万天子の内なるべし
もし内になくば地獄こそおはしまさんずれ、今度の大事は此の天のまほりに非ずや、彼の天とは剣形を貴辺にあたへ此れ下りぬ。此の
日蓮は首題の五文字を汝にさづく、法華経受持のものを守護せん事疑あるべからず。摩利支天も法華経を持ちて一切衆生を助け給ふ。
「臨兵闘者皆陣列在前」の文も法華経より出でたり。「若説俗間経書治世語言資生業等皆順正法」とは是なり。これにつけてもいよ
いよ強盛に大信力をいだし給え。我が運命つきて諸天守護なしと恨む事あるべからず。


神文之事

第一条 親子兄弟相弟子タリト雖モ(いえども)免許伝授無之内ハ一手半タリ共教授間敷事。(他人に教えない)
第二条 稽古中如何様ノ怪我有之共決シテ相怨間敷事。(喧嘩しない)
第三条 道場ニ於テハ譬エ主人タリ共容赦致間敷事。(道場内では誰であれ道場訓に従う)
上神文相背クニ於テハ摩利支尊天ノ御罰ヲ蒙ル可キ者也
            明治三〇年五月吉日


ウルスラグナ
ゾロアスター教において崇拝される英雄神で古代イランで崇拝された。戦争の勝利を司る神で、虚偽者や邪悪なる者に罰を与え、自らを崇拝するものには勝利を与えるという。
宗教画などに力強いイノシシの姿をとって戦場でミスラを先導するウルスラグナが描かれたりした。



[15] 素振の回数

投稿者: 投稿日:2017年 1月28日(土)15時49分54秒 198.250.149.210.rev.vmobile.jp  通報   返信・引用

なぎなた  荻原晴子
  自分は千振り稽古をしたと言う祖母の言葉で私もそれに挑戦し、朝500本、夜500本、雨天以外は庭に出て一本一本数えながら薙刀を振りました。
  叔母である島田晃子範士が、折にふれ私の住む姫路に立ち寄り、稽古をして下さいました。「面がしっかり打てなくて何が出来るのか」と、大方一日中、面打ちと脛打ちばかり。
  叔母は私と同じだけ動いていられるのに、私は内腿が紫色に内出血するほどガタガタで、足を引きずりながら家事をする始末でしたが、叔母は平然としていらっしゃいました。



[14] 英信流居合解説

投稿者: 投稿日:2017年 1月28日(土)08時06分40秒 54.78.239.49.rev.vmobile.jp  通報   返信・引用

  私が英信流を習った団体の主席師範が残した文章に、英信流の特長が書かれたもの。後ろに下がる居合をよく見かけるが、前進して斬り込んでいく。

岩田憲一 士月
  私の経験では、大方の力の運用には必ずと言ってよい程、相手の間合いを攻める前足の前進を伴う故に、その点細くそして本使いの処では太く大きく出し、終りは亦細く静に終了する方法となることが多い。



[13] 片岡健吉

投稿者: 投稿日:2017年 1月27日(金)13時12分4秒 54.78.239.49.rev.vmobile.jp  通報   返信・引用

1844年土佐藩上士の嫡男として生まれる。万延元年(1860)に『體術道標』を書く。師は下村茂一で高木流柔術と英信流などを修行。迅衝隊に参加し、戊辰戦争で会津城攻略などの数々の功を立てる。維新後陸軍参謀中老職となり二年間ロンドンに留学、海軍中佐となるが征韓論派の失脚に伴い、高知に帰る。明治七年板垣退助、植木枝盛らと立志社を創設するが、立志社の獄で逮捕。明治14年自由党の結成に協力。明治18年高知においてプロテスタントとなる。伝導を行ない退去命令が出され従わず禁固となる。出獄後明治23年衆議院選挙で当選。以後8回まで連続当選。明治36年死去。正四位に叙される。

體術道標
万延元年庚申歳 八月吉辰 片岡益光

 柔術は体の力みをなくし体全体を柔らかにして、体の内から出る力が体の端々に行き渡ることを重要とします。初心のうちは体が縮こまり業が小さくならないように、ただ大きな業を(堂々とゆとりを持って、無理無駄なく、無理な速さを求めず、正しく)稽古しなければなりません。相手に業が掛からないのを恥ずかしく思って、自分の作為を加えれば、絶対に技は進みません。
 また、修行が足らないのに代々の師範が定めた業が間違っていると非難し、業に作為を加えてはなりません。そのような業は自分より下の者しか有効ではありません。定められた業に習熟するときにはあらゆる敵に向かって勝利は疑いありません。したがって、当流の極意は「平常のようにせよ」ということです。
 稽古の時に業を途中で中断してはなりません。たとえ相弟子であっても業の稽古をするときには常に敵と心得、たとえ相手が間違った仕掛けをしてきてもそれに応じ、打ち方ねばなりません。
 業には敵の上から仕掛けに応じるものがあれば、下からの仕掛けに応じるものもあり、また中や左右もあります。しかし、上からの仕掛けが中になり、中の仕掛けが下になり、前後左右も異なった仕掛けになってしなうこともあります。この時に心が迷わず、体の構えが崩れぬようにして、敵に打たせて、入り込めば、一方的な負けにはならないものです。未熟なうちには、敵が仕掛ける業を上から来るか、下から来るかと迷い、打たれまいとして、何が何でも受けようとするので、心が遅れて、体の構えが崩れてしまうものなのです。偶然、敵の仕掛けに応じることができても、絶対に勝とうと心も体も急いで、業が整わなくなってしまいます。日頃からこのことを稽古に心がけておかなければなりません。
 他の人が器用であり、力の強いことをみて、我が身を恨んではいけません。それは修行に対する志が浅いというものです。器用さや、力の強さというものは生まれつきのものであって、それは気にせず、自分を精一杯磨くのです。自分が不器用である、柔弱であるといって修行を怠れば、一生進歩することはありません。努力して、この流派に習熟すればたとえ初め不器用であったものでも業が使えるようになるし、柔弱(筋力が弱いこと)である者でも強敵(筋力の強い者)に勝つ事が出来るようになるものなのです。また、業は器用であるけれども、気がきかない、心の働きがない者もいます。また、気が利いて心配りができる者でも、道場での業は不器用な者がいます。とにかく修行が大事なのです。
 力が強い人が自分の力をあてにして修行しない時にはかえって負けを取ることがあります。また年老いてしまうと業の調和が取れません。業に力を入れれば、打つ手や踏む力が強くなり、未熟の相手に勝つこともあるでしょう。しかし、当流では気に力を入れ、それに業が従うことを専らとします。
 柔術は格体といって半身での体の入れ替えを重要とします。しかし、半身での体の入れ替えばかりを意図的になそうとのみ考えていると体が硬くなり、動けなくなってしまいます。日頃から、稽古して身につけなければなりません。身の曲尺というものは太刀相でも敵の剣が自分に当たることがなければ、自分の剣も相手に当たることはありません。自分に当たる曲尺の時、気をもって打ち込めば、自分は遁れ(のがれ)、敵には当たるものです。しかし、、簡単に勝つ事は出来ないので常に心がけて修行しなければなりません。
 柔術はただ単に、組み付き、投げ、抑える為のものではなく、我が身の守りとなるものです。この守りとは単に護身術という意味ではなく、平和な時には柔術を通じて養った忠孝信を怠ることがなければ自分に敵対する人もいないということなのです。また、柔術を修行することによって心が治まればどのような場所に出て、どのような出来事に遭遇しようとも心が動揺することはありません。世の中の盗賊や取篭者にあっても心を乱すことはありません。また、業が進み心が何ごとにも応じられるようになれば馬の上や屋根などの高い所から落ちても怪我をすることもありません。
 稽古では相手の至らない所を見て自分の業を省み、自分の至らない所を治すようにしなければなりません。また、相手の体が動く拍子に気を取られてならず、相手の気に応じるようにすべきです。勝つことを急いではなりません。業も一つの業で敵を仕留めると思えば、隙ができてしまいます。敵に勝つことを急がず、自分が負けまいとして、自分の身を守り、残心を大切にし、敵に隙を作らないことが大切です。そうすれば、そのうち、自然に敵に勝つことのできる体に仕上がっていくものです。
 武芸は理屈ではなく、只、日夜稽古を積めば上達すると思って年月を重ねるのは無益なことです。業に理論を重ねて修行すれば、事理一致の修行と言えます。
参考 森本邦夫



[12] 大江正路

投稿者: 投稿日:2017年 1月27日(金)13時04分59秒 54.78.239.49.rev.vmobile.jp  通報   返信・引用

嘉永5年(1852年)生まれ。剣術は小栗流、神影流。英信流棒術を板垣退助に学ぶ。慶応3年(1867年)に藩の旗本隊に編入し、山内容堂の兵士として1868年鳥羽伏見の戦いに出陣。山内容堂も英信流を修業しており、側近にいた板垣退助は容堂の激しい英信流の稽古ぶりを書き残している。41歳明治25年、高知共立学校撃剣教師となる。明治26年板垣退助が帰郷した折り英信流が衰退しているのを惜しみ、その育成を計った。大江正路が谷村派の研究を始める。明治末に武徳会高知支部の指導者(明治28年1895年)だった大江正路が160余りの技を52本に整理、英信流を教えていく。明治30年、第16代後藤宗家が死去。昭和2年死亡。
参考 広谷喜十郎

明治の中期になって居合道は時勢の進運に伴い、秘密主義から脱して、人格の陶冶を目的として、一般に普及する時代になった。大江先生は率先して明治中期以降は新潟、岡山、阪神地方に講師としてたびたび出かけられ、晩年においては愛弟子穂木山波雄先生を代理として県外に派遣されたのである。高知県立第二中学校に剣道教師として出勤されてた頃は、有名な無外流の川崎善三郎先生と巡回教師であった。大江先生は形7本を特に重要視されて、この形が相当身に付かなければ、武徳会への精錬証下付受審の申し出をせられなかったようである。
参考 森繁樹



[11] 町人の心得

投稿者: 投稿日:2017年 1月24日(火)23時23分36秒 214.254.149.210.rev.vmobile.jp  通報   返信・引用

1.遊女は勿論、娘下女の類、淫がましきことあるべからず
1.物見遊山に行くとも、己より下目の者と同道すべからず
1.何商売何職にても、親の老舗大事と精出すべし
1.手習算盤よく習ひ、暇あらば素読すべし
1.他商売を心懸くべからず
1.尺八、三味線の類、稽古するとも上手にならぬを上手と心得べし。
1.勝負事、固くすべからず


レンタル掲示板
19件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。

お知らせ · よくある質問(FAQ) · お問合せ窓口

© GMO Media, Inc.